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ONIGAWARA、竹内電気竹内サティフォー



――小さいころはどんな形で音楽と触れ合ってましたか?
竹内 : 地元が愛知県高浜市っていうところなんですけど、名古屋の人に言ってもわからないようなど田舎で(笑)。だから、テレビしか情報源がなかったんです。COUNT DOWN TVを観て、そのトップ10に入ってるヤツをTSUTAYAとかで全部借りて聴いてました。
――もう、J-POPの申し子みたいな。
竹内 : 僕のDNAには織田哲郎さんが刻み込まれてると思います(笑)。めっちゃ聴いてましたね。
――プロフィールを拝見すると「小6でLUNA SEAのSUGIZOモデルのギターを買ったのが始まり」とありますが、それもその流れで?
竹内 : それは4つ上の兄貴の影響ですね。兄貴がLUNA SEAのINORANモデルのギターを持ってたんです。で、オレはSUGIZOモデルを買ったっていう。
――バンド云々よりも、まずギターを触ってみたかった?
竹内 : ですね。オレもやってみたいなって。
――ただ、小6だと周りでギターを始めたような友達もいなかったんじゃないですか?
竹内 : だから、ひとりでCDに合わせてずっとLUNA SEAを弾いてました。ただ、それも小6のときだけで。中学に入ってからは一切やらなくなったんですよ。SLAM DUNKの影響でバスケ部に入り、ずっと部活ばっかりだったんで。
――その後、またギターへ戻ったのは?
竹内 : 部活を引退したころ、兄貴がAIR JAM世代のバンドを聴き始めてたんです。Hi-STANDARDはもちろん、BRAHMANとかBACK DROP BOMBとか。で、オレも聴いて「やべぇ!」って思って、Hi-STANDARDのコピーをし始めて。
――中3ぐらいの時期になると、音楽に目覚める友達も出てきますよね。
竹内 : そうでしたね。やっぱり、バンドもやりたくなったんで、高1のときに周りの友達を巻き込む形で竹内電気を結成したんですよ。当初は、Hi-STANDARDとTHE BLUE HEARTSとB-DASHのコピーをやるっていうことで。
――しかし、竹内電気はそこから派生したとは思えないサウンドだったと思います。
竹内 : やっていくうちに、the band apartとかBEAT CRUSADERSが出てきて。特に、オレらはBEAT CRUSADERSを崇拝してたんです。それでシンセも導入したりとか。だから、最初はパワーポップみたくなりつつ。でも、へんなバラードとかもやってて、音楽性としてはメチャクチャ。収集がつかないところもあったりして。もともと、仲の良いヤツらが集まって作ったバンドだから、音楽的な結びつきが少なかったし、解散するまでその感じはありましたよ。
ONIGAWARA,竹内サティフォ
――改めてバンドの流れを追っていくと、そのコピーバンドを経て、本格的なライヴをやり始めるとすぐにレコード会社が決まりましたよね。
竹内 : 就職したやつもいたんですけど、やっぱりバンドをやりたい気持ちがあって、ライヴをやっていたら声をかけてもらって。
――どんなキッカケがあったんですか?
竹内 : いつも観に来てくれてたTOWER RECORDSで働いてる女の子が、名古屋のVICTORの人に声をかけてくれたがキッカケでしたね。で、あれよあれよという間にレコード会社と事務所が決まって。まあ、運が良かったというか。
――バンドとして、すぐに決断できました?
竹内 : 今になってみれば、浅はかな感じで決めたと思いますよ。「ご飯もおごってくれたし、CDを出せる。やったー!」みたいな(笑)。
――ハハハハ(笑)。じゃあ、楽しくバンドはやれていたという。
竹内 : 基本的にはそうでしたね。ただ、レコード会社と事務所が決まり、関わる人が増えてきて、みんな思い思いのことを言ってくるじゃないですか。そういうとき、オレらは「バンドとしてこうなっていきたい!」みたいな主軸がなかったら、考えこんじゃうメンバーも出てきて。斉藤なんかは、そこで悩んで最初に抜けちゃったんですよね。
――誰かがイニシアティブを握るようなことはなく?
竹内 : 曲を作るときはネタを持ってくるオレか斉藤だったんですけど、バンドとしての動きとなると誰もそういう役割のメンバーはいなかったですね。
――竹内さんご自身も思い悩むようなことが?
竹内 : いや、オレはポジティブだし、あんまり落ち込んだりしないんです。もちろん、「どうしたらライヴや曲が良くなるのか?」みたいなことは考えてたけど、あくまで前を向いてるというか。だから、竹内電気だって解散したかったわけじゃないし。続けたかったけど、状況的に無理っていう。
――実際、解散の流れはバンド界隈でもザワザワしましたよね。簡単に経緯を説明してもらってもいいですか?
竹内 : ヴォーカルが思い悩んじゃって、ライヴの当日に集合場所へ来なかったんです。家へ迎えに行って話もしたけど、「どうしてもライヴはできない」と。で、決まってたライヴを謝り倒してキャンセルし、「どうにかできないか?」とメンバーで話をしてたところ、他にもモチベーションがないヤツもいたりして。歌モノなのにヴォーカルがいなくて、他にも続けられないメンバーがいる状況っていうのは厳しいですよね、実際。
――ただ、決まっていた主催イベントの内容を変更して、13年5月に新代田FEVERで解散ライヴを行いましたね。
竹内 : そんな状況でライヴをやりたくない気持ちもあったんですけど、いろんな人から「ケジメとしてやった方がいい」と説得されたのも大きかったですね。で、ヴォーカルがいないので、曲を作ってたオレが歌うっていう選択をして。普通、解散ライヴってしんみりする部分もあると思うんですけど、当時のオレは必死過ぎてそれどころじゃなくて(笑)。2日間で60曲やったから、感動どころじゃなくてただただ必死。
――いみじくも、そこがヴォーカリストとしてデビューになったという。
竹内 : そうなりましたね。歌うことの楽しさを発見したし。
――そして、そこからは現在のONIGAWARAへと繋がるわけですが、バンドというフォーマットにこだわらなかったのが意外だったんです。
竹内 : やっぱり、バンドは多くの人が携わるし、たいへんな部分も結構あって。竹内電気が解散した後、まずやりたいなと考えたのはこのONIGAWARA。だから、バンドを辞めてから愛知へ戻ってた斉藤にもすぐ声をかけたんです。
――すんなりとスタートできました?
竹内 : いや、「オレはそういうモチベーションがない」と最初は斉藤に断られました(笑)。で、何ヶ月か経って、斉藤から「仕事を辞めたから東京へ行く」っていきなり電話がきたんです。ビックリしたけど、こちらとしてはありがたいし、そこから本格的にONIGAWARAとして活動を始めました。
――竹内電気では中心となり曲を作っていた2人が揃ってるわけですが、サウンドの色合いはまったく違いますよね。
竹内 : まず、バンド時代にやりたくてもできないことがたくさんあったんです。例えば、シンセやギターをたくさん重ねたりとか。バンドだと、どうしてもシンプルなモノになりがちじゃないですか。あと、斉藤がバンド活動から離れていた期間、アイドルに凄いハマってて。そこで学んだモノもONIGAWARAにはフィードバックしてたり。ホントにやりたいことができてますよ。
――凄く大きな質問になりますけど、ONIGAWARAって何なんですかね?
竹内 : オレらもわかってないです(笑)。
――ハハハハ(笑)。バンドじゃないのはわかるんですけど、アイドルかと言えばそうでもない気がするし。
竹内 : ただ、何者だろう感は出していきたいなっていうのはありますね。
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――バンド時代と今、向かっているところに違いはありますか?
竹内 : 形態がバンドじゃないっていうだけで、そんなに変わってないと思います。個人的には、竹内電気のときもポップであることにこだわりを持ってやってて、今はそれをもっとブラッシュアップしてるだけだったりもするし。
――ちなみに、ライヴはどういったスタイルでやってるんですか?
竹内 : オレはギターを持って歌ってるんですけど、その他の音はカラオケです(笑)。
――斉藤さんは何を?
竹内 : 踊ってます(笑)。
――わかりやすく説明したら、電気グルーヴのピエール瀧さんみたいな立ち位置なんですかね?
竹内 : そうです、そうです。コンセプト的に掲げてるのがMステに出てるCHAGE and ASKAだったりしますし。あと、もっとアイドル的な要素も出していきたいと考えてて。たまたま友達に振付師をやってる竹中夏海さんっていう人がいたのもあって、曲中に踊ったりもしてるんですけど。
――なんだかONIGAWARAの行く末が想像できるようなできないような。
竹内 : イメージとしては、もうSEKAI NO OWARIぐらい激売れしたいんです。
――ロックバンドであれば、日本武道館でライヴをしたいみたいな目標を持ったりもしますけど、ONIGAWARA的には?
竹内 : とにかく、オーバーグラウンドにいきたいという気持ちがあって。だから、もちろんMステは出たいんですけど、何なら音楽番組じゃなくてもいいし。BISTRO SMAPとか食わず嫌い王決定戦とか。
――それはミュージシャンとして出演したいという?
竹内 : いや、もうミュージシャンじゃなくてもいいんですよ、そこは。言ってしまえば、ミュージシャンとしてのこだわりは作品だけでいい。曲と音だけはアーティストとしてこだわって、他の見え方は茶番でいいです。ライヴも笑ってくれればいいし。
――もしかして、自分で曲を書かず、パフォーマー的な感じもアリとか?
竹内 : 全然アリですね。もうちょっと名前が広がって認知してもらったら、楽曲を募集したいという考えもあったりして。誰かの曲を歌ってみたいっていう。
――バンドマンって、やりたい音楽やなりたいモノがある場合が多いだろうけど、今の竹内さんはそうではないですよね。
竹内 : そうだと思います。実際、ミュージシャンよりもお笑い芸人を尊敬してるようなところもあって。お笑いって、物凄くクリエイティブじゃないですか。最近は舞台とかも観に行ってるんですけど、ホントに凄いなって思うし。
――好きなお笑い芸人はどなたですか?
竹内 : ずっと好きなのはバナナマンです。チケットが取れなくて、まだ舞台は観に行ったことがないんですけど。
――お笑いのどこに惹かれてるんでしょうか?
竹内 : 笑わせるっていうことが、いちばん感情として引き出すのが難しいと思うんです。泣ける曲よりも人を笑わせる曲を書く方が難しいだろうし。だから、オレらもそこは目指してて。ライヴをどう観て欲しいかと言ったら、笑っていただきたい。そこですね。
――また、活動のフィールドとしても幅広くやってますよね。
竹内 : 最近はアイドルとも一緒にやる機会が増えてきて。そこでオレらを知ってくれる人も結構増えてきました。
――アイドルのイベントに出てるんですか?
竹内 : そうですね。ちょっと前ですけど、lyrical schoolとせのしすたぁとウチで3マンとかありましたよ(笑)。刺激になることもホントに多くて。アイドルの子たちはプロ意識も高いし、ステージのパフォーマンスも作り込んでる。ONIGAWARAは30歳のおっさん2人でやってますけど、勉強させてもらってます(笑)。
――意外なのは、アイドルイベントに男性が出てもヘイトが生まれないんですね。
竹内 : すげえウェルカムですよ。たぶん、オレらの見た目がイケメンだったら「アイツら~!」ってなるかもしれないですけど、いかんせん冴えないおっさん2人が「J-POPだ!」ってやってますから(笑)。
――今後、もっといろんなところに顔を出していきたいという気持ちも?
竹内 : あります。メンバーも2人だし、荷物も少ないし、どんな場所でもやれますからね。
――この先、バンドへ回帰することはないんでしょうか?
竹内 : バンドサウンドでやりたい気持ちっていうのはあります。ライヴだって、余裕があるんだったら生演奏でやりたいし。昨年、ワンマンのときにバンドスタイルでやったんですけど、「やっぱり、いいな」って思いましたから。ただ、現状としては、まず2人でやれることの強度をどんどん上げていく。で、やれる状況があるときは、サポートでミュージシャンを招いてバンドスタイルにしたり、照明を凝ってみたりとか。エンターテイメント性を上げている最中でもあるんで。
――何の気なしに観ても楽しめるようなライヴを作り上げたいと。
竹内 : ですね。初見で観た人がどれだけ楽しめるか。そこは大事だと思ってますし。ただのライヴじゃなくて、ひとつのショウとしても成り立つようなモノをやっていきたいですね。
――もし、日本で行われてるイベントのどこにでも出演できるとしたら、何を選びますか?
竹内 : いっぱいあるけど……TOKYO IDOL FESTIVAL(10年より開催されている世界最大級のアイドルフェス)かa-nationですね。やっぱり、意外なところに出るのが面白いと思ってて。だって、おっさん2人がアイドルフェスに出たらウケるじゃないですか(笑)。
――何かアイドルっぽい物販とかあります?
竹内 : この間ですけど、チェキ会をやりました(笑)。
――バンド時代だったら絶対にNGですよね(笑)。
竹内 : 何なら、バンドの物販にいちばん立たなかった2人ですからね(笑)。やっぱり、斉藤がアイドルヲタになってたのが凄くデカいなと。
――もし、斉藤さんがアイドルにハマってなかったら、こうはなっていなかったと。
竹内 : だと思います。僕ひとりが素でやってたら、バンドサウンドにこだわってただろうし。
――今後も面白い展開がありそうだなという予感がしてますよ。
竹内 : 9月には1stアルバム『エビバティOK?』もリリースするし、ツアーもあるし、どんどんやっていきたいですね。あと、自分の使命として抱えてるモノがあって。バナナマンをリスペクトしてるオレとしては、設楽さんが「日村を世に広めるのが仕事だ」と言ってるように、オレは斉藤を世に出したい。あのキャラクターが知られないのは勿体無い! そんな気持ちもあるんですよ。 




ONIGAWARA 竹内サティフォ
ex.竹内電気の竹内サティフォと斉藤伸也による、スーパーJ-POPユニット。13年より本格始動し、これまで2枚の自主制作CDをライヴ会場・通販限定にて発表。2nd作品集『』はTOWER RECORDSとVillage Vanguardの一部店舗でも販売され、好評を博す。SANUKI ROCK COLOSSEUM、IMAIKE GO NOW、いつまでも世界は...、SAKAE SP-RING、見放題、やついフェス、TOKYO BOOTLEG等の大型ライブサーキットにも多数出場し、各方面で波紋と衝撃を与えている。15年9月には1stアルバム『エビバティOK?』をリリースし、東名阪ツアーも予定。



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