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――ご出身はどちらなんですか?
[.que] :  地元は徳島で、高校までいました。田舎すぎて、山と川と海しかないみたいな(笑)。市内まで車で2時間ぐらいかかるし、音楽に関する情報が全然入らない土地でしたね。
――音楽自体はずっと好きだった?
[.que] :  そうでしたね。中学のときにゆずを好きになって、ギターも始めたんです。で、高校ぐらいになると、BUMP OF CHICKEN、ELLEGARDEN、ASIAN KUNG-FU GENERATIONを聴くようにもなり、友達に声をかけてコピーバンドをやったりとか。ただ、高校が厳しかったのもあり、そこまでバンドへはのめり込めなくて。だから、本格的にやるようになったのは大学へ進学してからなんです。
――進学で地元を離れたんですね。
[.que] :  広島へ行きました。そこで軽音部へ入り、すぐに部内でドラムとベースを探してバンドを組んだんです。
――そのバンドで活動をしていったんですか?
[.que] :  いや、ほとんどコピーばっかりで、オリジナルは1曲ぐらいしかなくて。しかも、1年ぐらいしたらドラムが先輩バンドに加入し、ベースも辞めて、動かなくなったんですよね。そうしたら、ライヴハウス繋がりでもともと広島でガツガツやってたメロディックのバンドから「メンバーが抜けるから加入しないか?」って誘われて。その加入したバンドからですね、いろいろ活動するようになったのは。
――じゃあ、その後はバンド漬けみたいな?
[.que] :  念願のバンド活動だったし、もうキラキラしてましたよ(笑)。CDをリリースできるぐらいには頑張りたいと思って、デモCDを作って売ったりしたし。そうやってたら、SHANKとかUNLIMITSといったツアーバンドのサポートもできるようになったり。それこそ、打ち上げでもパンチを見せて(笑)。ただ、脱退しちゃうんですけど。
――それは就職が関係したんでしょうか?
[.que] :  そうでしたね。めっちゃ悩みましたけど……メンバーはひとつ上だったりもして、就職が決まった人もいたんです。で、その人もバンドは続けると言ってるけど、やるならもっと本気でやりたかったし。だったら、僕も就職しようかなって。意地っ張りなんですよね。
――どういった会社へ入ったんですか?
[.que] :  大阪にある建築関係の会社で、エアコンとかコンセントの器具を選ぶっていう仕事でした。だから、作業服を着て、現場で図面を見ながら指示してましたよ(笑)。
――マジメな会社員だったと(笑)。
[.que] :  でも、出社した1日目に「この会社に40年は務められない」って思ったんです。やっぱり、音楽がやりたいと。そこで、「何かひとりでやれることはないか?」と考えたのがエレクトロニカをやるキッカケになりました。
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――どうして、エレクトロニカという選択肢が出てきたんでしょうか?
[.que] :  広島でやってたバンドを脱退するちょっと前なんですけど、ストレイテナーのホリエさんがソロ・プロジェクトでやってるentを知ったんです。それまで、パワーコードとかしか聴いたことなかったし、ましてや「エレクトロニカとかポストロックって何ですか?」って感じだったんですけど、凄く新鮮かつ衝撃的で。それが薄っすらと頭にあったんですよね。ひとりでやれることって、弾き語りかDTMになるじゃないですか。ひとりで歌うのはちょっと恥ずかしいなっていうところがあったし、DTMならPCも好きやし、自分にも合うかなと。
――ひとりで音楽をやることはどうでした?
[.que] :  気楽っちゃ気楽ですけど、終わりの付け方が難しいかったですね。今はレーベルのオーナーに聴いてもらって、アドバイスや感想をもらったりもするんですけど、始めた当初は完全にひとりでやってたんで、自分で締め切りを決め、その時点で出せるモノを出してました。そうしないと、曲が発表できないっていう。
――音楽的には、メロディックのバンドをやっていたところから、いきなりエレクトロニカへ。
[.que] :  やり始めたころはentが好きすぎて、そのモノマネみたいな感じでしたけどね(笑)。仕事を続けながらでしたけど、1日1曲と思いながら「これがエレクトロニカだ!」って自分なりに作って、MySpaceにアップしまくっていったんです。
――勝手なイメージとしては、海外のミュージシャンから影響を受けたのかと思ってました。
[.que] :  エレクトロニカやアンビエントをちゃんと聴くようになったのは、自分でやり始めてからですね。ホリエさんがブログでいろんなCDを紹介したりもしてたから、それを追っかけたりとか。僕って、好きになったら掘るクセがあるんです。ひとつ気になったら、レーベルもそうだし、他にどんなバンドがいるかも調べて聴き漁るみたいな。例えば、entからPRECOってレーベルを知って、そこからリリースしてるausを聴いてハマったり。CDもめっちゃ買ったし、どんどん網羅していくみたいな。で、今のスタイル、フォークトロニカにハマった要因は宮内優里さんですね。あの人の音楽って、逆再生やらピアノやらに留まらず、フィールドレコーディングの音とかも入ってて。ご本人はエレクトロニカもどきって言ってるんですけど、これは凄くカッコいいなと思って。そこから生音系のエレクトロニカをフォークトロニカって表現することも知って、どんどんのめり込んでいきましたからね。
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――楽曲をアップをして、何かリアクションはありました?
[.que] :  ほとんどなかったんですけど、何の気なしにFRED PERRYとMySpaceが一緒になって開催したコンテストに応募したら、そこで優秀楽曲に選ばれたんです。FRED PERRY全店で流れるし、フリーダウンロードのコンピレーションにも収録され、コンテストの審査員だった高橋幸宏さんがコメント付きでラジオを流してくれると。
――それは大きな自信になりましたよね。
[.que] :  曲を作り始めたときは、自分ではカッコいいと感じてるけど、クオリティ的にはまだまだだし、人様に聴いてもらうモノじゃないなと思ってたところもあったんです。それが、受賞したのをキッカケに「頑張ったらイケるんじゃないか?」って考えるようになりましたね。そこから、とりあえずデモCDを作ってレコード店に委託で置いてもらったら、100枚だったんですけど、すぐ完売して。あと、ネットレーベル(※インターネット上で運営し、多くの場合はフリーダウンロードでリリースする音楽レーベル)からリリースするとFacebookやTwitterで拡散されて知名度も上がるらしいという話を聞いて、自分に合うレーベルを調べてたら、まさに気になってたところから「リリースしませんか?」っていう連絡がきて。で、実際にリリースしてみたら、ありがたいことに評判もよくて。
――いい流れで活動が進んでいったと。
[.que] :  今になって考えると、タイミングもよかったですね。MySpaceからSoundCloudに移行する人が増えて、ネットレーベル界隈が盛り上がってた時期でもあったんです。フリーダウンロードだから情報も飛びやすいし、渋谷WOMBでいくつかのネットレーベルが一緒に開催したイベントに呼んでもらったんですけど、お客さんが1000人ぐらい集まってたりとか。そうやってるうちに、その延長線上で「自主でアルバムを作ってもリアクションはあるだろう」って決めたとき、introducing!から「ネットレーベルからリリースした曲をCDにしませんか?」って連絡がきたんです。で、2012年5月に自主で1stフルアルバム『sigh』、7月にintroducing!から2ndフルアルバム『calm down』をリリースしました。『sign』は自分でお願いしたレコード店で委託販売、『calm down』は全国流通でいろんなところで展開をしてもらいましたね。僕は大阪に住んでたし、その様子を写真で観ただけなんですけど(笑)。
――ハハハハ(笑)。例えば、ライヴハウスに3人だったお客さんが100人になったら凄く実感があると思うんです。自分が実際に目にしてないところで情報が飛んだり、展開されてるというのはどういう感じでした?
[.que] :  正直、上の空でしたね。ただ、Twitterで宣伝するとリツイートされるから「自分の情報を欲してる人が多いのかな?」っていう。そういったことで、どうにか判断するしかないみたいな。まあ、ネット頼りでしたよ。
――また、それぐらいの時期から広告や映像に楽曲提供したモノが世に出てきましたよね。
[.que] :  キッカケになったのは、SoundCloudに東京にある映像会社のプロデューサーからきたメッセージだったんです。「あなたの曲はいいですね。イベントへ遊びに行ってもいいですか?」って。いきなりだったんで、「なんや、この人!?」って思ったんですけど(笑)。で、実際に会って話を聞いてみたら「音楽で食べて行きたいんなら、楽曲提供しませんか?」と言われて、初めて仕事として受注したんです。たしか、それは2011年でしたね。
――突然だったんでしょうけど、いい出会いになりましたね。
[.que] :  そうでしたね。楽曲提供をしたときも「じゃあ、自分の音楽に値段をつけてください」と言われて。もちろん、相場なんて全然わからないから「5,000円です」と伝えたら「それ、ちゃんと考えて言ってる?」と返ってきて(笑)。
――実際、そのあたりの判断は難しいと思いますよ。
[.que] :  10,000円は言い過ぎだし、3,000円は安すぎるしと思い、5,000円って言ったんですけどね(笑)。そうしたら、「映像のこういう仕事だったら、これくらいの金額でみんなやってるんだよ」と言ってくれて。今でもずっと親切にしていただいてます。
――そして、そこからいろんなところへ広がっていくと。
[.que] :  実際にその映像が発表されたら、そういった業界の人も気にしてくれて、ちょこちょこと話をいただくようになりました。
――そういった仕事の場合とご自身の曲を作る場合では思考回路が別なんですか?
[.que] :  僕の場合、基本的に映像をイメージして曲を広げてくんですよ。例えば、夕焼けが浮かんだら、そこに似合うモノを広げるみたいな。仕事の場合は、その映像が先に決まってるっていう。だから、曲を作る際の順序がいつもとは異なるから、感覚が違うと言えば違いますね。あと、仕事で作るときは映像を意識し過ぎないようにはしてます。そこを感じすぎると自分らしさがなくなるんで、感性を信じつつ、エレクトロニカ、アコギ、逆再生の音っていう要素は絶対に入れるようにして。あくまでも自分が作る曲であるし、個性は殺さないように。
――そう考えると、会社に務めながらも、かなりの曲を作ってたんですね。
[.que] :  会社をすぐに辞めることも考えたんですけど、めっちゃ小さな会社だったし、ちゃんと引き継ぎができるタイミングで辞めようと決めたし。2年間は会社で働きながら作り、そこから2年間はバイトもしつつ、音楽の仕事をするみたいな感じでした。
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――2014年、拠点を大阪から東京に移したわけですが、その理由は?
[.que] :  2013年になると楽曲提供の受注も増えてきて、好きだったSCHOLEからもCDをリリースすることができたし、もっとやれるところまでやりたいなと感じたんですよね。
――しかしながら、音楽をやる上では大阪でもそんなに不自由はないのかなと思ったりもします。
[.que] :  僕に限ったことかもしれないんですけど、リアルで人に会いたいっていうのがあって。ライヴやイベントも多いし、仕事でやり取りする会社も東京が中心になるんですよ。やっぱり、Skypeだけだと味気ないし、実際に会って話すことで人柄もわかる。あと、圧倒的に僕がやってる音って聴く人もまだまだ少ないから、東京でひと成功をおさめたら全国でやっていけるんじゃないかと思ったりもして。
――DTMをやってる人って、オタク気質と言いますか、自分の世界で完結したいのかなと想像したりもしますけど、[.que]さんはそうではないんですね。
[.que] :  そうですね。もしかしたら、エレクトロニカ界隈の人から「[.que]くんって、バンドマンだよね」って言われたりもするし、気持ちが熱いバンドマンの気質がずっと続いてるのかもしれないです。せっかく曲を作ってるのに、ネットで発表してるだけだと寂しい気持ちもあるし、PCの画面だけで済ませるのは勿体ないなと思ったりもしてて。それだったら、実際にライヴもして、リアルなお客さんに観てもらったり、感想を直接もらったり。そういうのって、凄く大事だろうし。
――ちょっと突っ込んだことを訊きますが、音楽を続けていく中で、楽曲提供の仕事を中心にしつつ、自身の音楽は趣味でやるという立ち位置も考えたりします?
[.que] :  できれば、自分の作品をもっと世に広めて、それを中心にしていきたいと考えてますね。今の僕の立ち位置って、クリエイターとアーティストのどっちつかずになってるかもしれないですけど、やっぱりアーティストになりたくて。自分の曲のクオリティにも繋がってくるんでしょうけど、アーティストとしてもっと評価されたい気持ちがあるんですよ。
――かと言って、クリエイターとしての仕事が嫌なわけではないですよね。
[.que] :  もちろん、楽しいですよ。いろんな勉強にもなるし、繋がりも嬉しいし。ただ、悩みもあったりして。アーティストとして依頼された楽曲提供ならクレジットが載るわけですけど、いちクリエイターとしての仕事だと載らないんです。それは、悲しいというか。だったら、[.que]として依頼されるようになりたいっていうのが理想だったりもするし。
――今後の展開について、何か考えていることはありますか?
[.que] :  新しいことはやっていきたいですね。新作『Brilliant Hopes』だと、結局バンドに戻るんやなって感じなんですけど、ドラムやグランドピアノはレコーディングして、自分で歌ったり、ゲスト・ヴォーカルを迎えたりしてて。今までやらなかったことを試してるんです。
――[.que]さんの曲はメロディーが浮かぶことが多いので、面白い試みだと感じました。
[.que] :  そう言われることも多くて。だったら、自分で歌うのもアリやし、他の人に歌ってもらうのもアリやなって考えたんですよね。また、ライヴに関しては、打ち込みだけだと寂しいと思うんで、ドラムを迎えて2人編成でやっていこうかなと。ちょっとずつですけど、今までひとりでやってきたけど、ひとりじゃできないことに挑戦していきたいなと思って。やっぱり、いろんな人に聴いてもらう為に、エレクトロニカやフォークトロニカの色は殺さず、幅を広げていきたいなと。
――また、[.que]さんのような音楽性だと海外での展開もありそうですよね。
[.que] :  僕みたいなトラックメーカーは歌がないから、すぐに国境を越えられるって言われたりもしますし、世界中から愛されるアーティストになりたい気持ちは当然ありますが、まずは日本でもっと聴いてもらうっていう。少しずつでいいから、自分のフィールドを広げていきたいですね。




[.que]
2010年よりスタートした、音楽家・柿本直によるソロ・プロジェクト。アコースティックギターを基調に、繊細なエレクトロニクス、柔らかで清涼感溢れるサウンドを奏でている。その心地よい安らぎを感じさせるフォークトロニカに魅了されるミュージシャンも多く、様々なフィールドから注目を集めている。



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