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FOUR GET ME A NOTS高橋



――智恵さんは凄くギターを愛してるイメージがありますけど、最初に触れた楽器は何だったんですか?
智恵 :  お兄ちゃんとお姉ちゃんがやってたこともあって、習い事で触れたエレクトーンが最初でした。
――お兄さんもお姉さんも習ってたというと、音楽一家みたいな側面もあったりとか?
智恵 :  そこまでじゃないんですけど、母は幼稚園の先生でピアノをやってたというのと、お父さんはビートルズが好きで、ギターの弾き語りをしてましたね。だから、家にエレクトーンもピアノもギターもあったんですよ。
――エレクトーンは長くやったんですか?
智恵 :  3歳から6歳までなんで、そんなに長くないんですよね(笑)。多分ですけど、決まったことをやるのがつまらなかったんだと思います。団体奏法っていって、みんなで弾くのがあって、それもちょっとつまらなかったというか。
――その次に触れたのがギターだったんでしょうか?
智恵 :  そうでしたね。お父さんに教わりながらコードを押さえたぐらいでしたけど、小6だったと思います。小5ぐらいから楽譜を書いて曲を作ってたのもあって、「これで書いた曲が歌えるんだ!」ぐらいの印象でしたけど。
――その歳で曲を書くっていうのはかなり早いですよね。感覚としては、お絵かきみたいな?
智恵 :  それに近いかもしれないです。実際、お絵かきも好きだったし。
――智恵さんと言えば、FGMANのグッズにもなってるヤフーくんというキャラクターをデザインしてますよね。
智恵 :  目指せ、四街道非公認キャラみたいな(笑)。
――ハハハハ(笑)。ちなみに、曲を書き始めるキッカケみたいなモノはあったんですか?
智恵 :  ファストフード店でクリスマスソングの一般募集をしてるのを知ったのがキッカケでしたね。和音とかコードも多少わかるし、やってみようかなと。ただ、応募はしなかったんですけど(笑)。
――そう考えると、音楽的目覚めはやっぱり早いですよね。
智恵 :  かもしれないですけど、周囲の環境があったからだと思います。常に寝るときには音楽が流れてたり、お兄ちゃんが好きだったX JAPANとかLUNA SEAも自然と耳にしてたりして、自然とバンドサウンドも聴いてましたからね。
――ただ、音楽活動のスタートはバンドではなかったという話も聞きました。
智恵 :  そうですね。最初は弾き語りをやってました。
――時期としては、いつぐらいに始めたんですか?
智恵 :  高2のときですね。TEENS' MUSIC FESTIVALに出てみようと思ったのがキッカケになりました。
――それは、いきなり思い立って?
智恵 :  いや、その前にも友達とかに自分で作った曲を聴かせたりはしてたんです。そんなに明るい子じゃなかったので、視聴覚室でひとりで遊んだりしてて、友達に聴いてもらうっていう。
――その当時の趣味は曲作りとお絵かきみたいな?
智恵 :  そうでしたね。それこそ、中学のときは本気で漫画家を目指して、アニメイトに紙とインクを買いに行ったこともありますよ(笑)。
――そうだったんですね(笑)。しかし、どうしてオーディションに応募しようとしたんですか?
智恵 :  自分の曲がどう評価されるのかなって気になったというか。もちろん、優勝者に与えられる賞みたいなのにも若干は期待してたんでしょうけど。で、オーディエンス賞をもらって、その後は会場となったライヴハウスに弾き語りで出るようになりました。
――実際にライヴハウスへ出てみてどうでした?
智恵 :  私、どこかで学校が嫌いだったんですよね。くだらないことで言い合ったり、イジメとかもそうだし、そういう付き合いが凄くめんどくさくて。でも、ライヴハウスではそういうことを抜きで、音楽だけの価値観で話せる仲間が増えたんです。年齢も関係なく、ちゃんと向き合える人たちがたくさんいて。そういうことが嬉しかったですね。
――いろんなバンドマンに話を訊くと、音楽を始めるキッカケは友達を誘ったり誘われたりでバンドを組むことが多いんですよね。そんな中、智恵さんはひとりで曲を書いたり、歌ったりしたことがスタートじゃないですか。最初にバンドを組むっていう選択肢はなかったんですか?
智恵 :  学校にはそういう仲間がいなかったし、バンドを組むっていう発想はなかったんだと思います。文化祭でバンドをやる人もいましたけど、私はそこでもひとりで弾き語りをしたし。
――その後、バンドへ足を踏み入れるキッカケは?
智恵 :  弾き語りを始めて1年ぐらい経ったとき、知り合いから「サポートで歌ってみない?」と誘われたんですよ。で、弾き語りも続けながら、そのバンドでサポートとしてヴォーカルとキーボードをするようになったのが最初ですね。
――そして、当時はファイナル御飯というバンド名だったFOUR GET ME A NOTSのメンバーとも出会うと。
智恵 :  そうでしたね。中学のときの友達から、その子の親が働いてる会社の同僚の息子がやってるバンドが女の子ヴォーカルを探してるという話を聞いて、メンバーと知り合いました。
――弾き語りとバンドで楽しさは違いました?
智恵 :  違いましたね。まず、ステージに立つのがひとりじゃないっていう。それが、いちばんデカかったかもしれないです。支えてくれるメンバーがいるし、そのメンバーが笑顔だったら相乗効果で更に楽しくなれるし。
FOUR GET ME A NOTS高橋
――ちなみに、バンドだと圧倒的に男性が多いじゃないですか。その中で女性っていうのはどうでした?
智恵 :  辛いなと思うのは、ツアー先とかで他のバンドとお風呂の付き合いができないことですかね(笑)。
――なるほど(笑)。まあ、裸の付き合いっていう言葉もありますしね。
智恵 :  みんなで銭湯とかに行って、男湯からワイワイと話し声が聞こえる中、私はおばあちゃんに囲まれながらひとりで入るっていう(笑)。それ以外でも、やっぱり気を遣わせてるなと感じるときはありますよ。ただ、ウチのバンドの場合はそういう扱いをしてこないし、いざ話をするときにはひとりの人間として接してくれるんですよね。最初のころは「もっと優しくしてくれてもいいのに」って思いましたけど(笑)。
――ちゃんと向き合って特別扱いしないのが優しさだったんでしょうね。
智恵 :  他のことだと、大きな物を運べないっていうのはちょっと悔しいですね。自分のアンプを運ぶにしても、誰かに手伝ってもらいますから。
――しかしながら、バンドにおいてそこまで男女の差はないでしょうかね。
智恵 :  そうですね。ただ、音楽的な部分だと、バンドでは女性の数が少ない分、いいアクセントになるっていうところはあるのかなと思ってます。
――実際、智恵さんもかなり歌うようになってますよね。意識としては、ギタリストとヴォーカリストのどちらが大きいですか?
智恵 :  今のところはギタリストの方が大きいですね。やっぱり、ギターは私にとって欠かせないし。極端な話、ギターを置いてヴォーカルだけやるとしたら「嫌だ」って言いますね。
FOUR GET ME A NOTS高橋
――まず、エレクトーンに触れて、それからキーボードでバンドにサポートとして参加し、FOUR GET ME A NOTSではギターという楽器の変遷を辿ってますけど、やっぱりギターなんですね。
智恵 :  相性がいいのかなと思ってて。今まで、バイトとかもいっぱいしてきたし、長く続くモノが一切なくて。ずっと続けてるのって、ギターだけなんですよ。自分の中でもギターしかないんだなという意識もあるし。
――止めたくなったりはしません?
智恵 :  弾けなくてイラつくときもありますけど、嫌になることはないですね……身近にいたお姉ちゃんが何でもできる人だったんです。ピアノもできる、運動もできる、字も上手い、男の子からもモテるみたいな。私は取り柄が何もないなって思ってた中で出会ったのがギターで、この為に何もできなかったんじゃないかと感じたぐらい、謎の自信があります(笑)。
――バンド自体を嫌になることは?
智恵 :  そう思ったことはないですね。このバンドを守る役でもいたいし、掛け替えのないモノだし。実際、今の2人以外と本気でバンドをやるのは考えられないですからね。それこそ、次にやるバンドなんて想像もできないから。
――そんなFOUR GET ME A NOTSも今年で10周年を迎えます。振り返ってみて、いちばんキツかった時期はいつになります?
智恵 :  1stフルアルバム『DOWN TO EARTH』のツアーは、ツアー名義じゃないモノも含めると全部で60本ぐらいやったんです。1ヶ月半ぐらい出っぱなしとかもあって、結構しんどかったですね。人間関係としてもお互いの顔も見たくないみたいなときもあったぐらい。
――生半可な気持ちでやってるわけじゃないから、どうしてもそういう時期はありますよね。
智恵 : :  普段ならどうでもいい些細なことが気になったり。若かったのもあって、辛かったという。
――そういった気持ちは、どういったことで解消されていったんですか?
智恵 :  単純に、ライヴをすることに意味があるというのを各々が持ってて、そこがブレなかったから、少しずつ解消されていったと思います。で、その次に2ndミニアルバム『TRIAD』があって、私もヴォーカルをするようになるという新しい形が見えてきたんですよ。そこがいちばん前を向けた、開けたというか。
――逆に、これまでの中でいちばん充実感を得たタイミングは?
智恵 :  2ndフルアルバム『SILVER LINING』のツアーを終えたときかな~。『SILVER LINING』は自分にとってメチャメチャ課題があって。やりたいことをやったのはいいけど、足元が見えてなかった部分があったんです。今だからわかることなんですけど。気持ちだけが空回りして、力が出ない状態が凄く続いたし。だから、ツアーファイナルをしっかりと終えたとき、その先に自分が見えたモノがあって。ここを乗り越えられたからこそ、もっとステップアップできるんじゃないかなと思えたんですよね。あの経験があったから、その次の3rdフルアルバム『BLINKS』もできただろうし。自分自身と向き合えたタイミングだったという。
――今後、バンドとしてどうなっていきたいと考えてますか?
智恵 :  ありがたいことに、ウチらはいい環境でやらせてもらってると思うんです。いい先輩がいて、いいライヴハウスの店長さんに観てもらって、いいレーベルに見守られて、ありがたいなと感じてるし。だからこそ、そこに甘えることなく、各々が「これからどうしていきたいのか?」を見つめ直し、ちゃんと固めていきたいなって。10年目というのもあるし、いろんなことが暗黙の了解みたくなっちゃうのもよくわかんないし。
――長くやってるからこそ生まれるところですよね。
智恵 :  そこで歯車が食い違うことも絶対にありますしね。そういうところをしっかりと考えた上で、シンプルに「ブレてない音を出して、みんなの元へ行く」っていう行動をもっと濃くしていきたいです。
――新たな試みをしてみたいという気持ちは?
智恵 :  ずっと言ってるのは、もっと世界へ行きたいんです。ようやく台湾には行けましたけど、ひとりでも待ってる人がいれば、やっぱりそこへは行きたいし。
――以前、新宿でライヴを観させてもらったとき、インドネシアからFGMANを観に来たお客さんがいましたよね。
智恵 :  そうなんですよ。それ以外でもシンガポールから来てくれた人もいたり、Twitterにもいろんな国の人がメッセージをくれたりもするし、ウチらを待ってる人はいろんなところにいるんだなってより実感をしてるんですよね。その上で、まだまだかもしれないけど、自信を持ってやってるバンドが世界の人にどう評価されるのか、どう届くのかも興味があるし。
FOUR GET ME A NOTS高橋
――智恵さん個人として、歩んでいきたい理想像はありますか?
智恵 :  もっと歌を表現したいですね。で、同時にいいギターも弾くっていう。声でも音でも、何を聴いても感動しちゃうみたいなことをやれるようになったら、もっとメンバー2人のことも持ち上げられるようにもなるのかなっていう。あと、FGMANでやれることっていうのと別で、自分自身の可能性を広げる部分で、誰かに曲を提供したり、ずっと描いてるイラストをもっと役立てたりして、個人としてもレベルアップしていきたいなと思ってます。




FOUR GET ME A NOTS
2004年、千葉にて結成。2008年のリリースした1stミニアルバム『FORESIGHT』を皮切りに、これまで1枚のシングル、3枚のミニアルバム、4枚のフルアルバムを発表。幅広い要素に育まれたメロディーを武器にシーンを問わず活躍している。女性を擁する凡百のバンドとは一線を画す圧倒的なライブパフォーマンスと、石坪泰知(Vo./Ba.)と高橋智恵(Vo./G.)の男女の絶妙な声の絡み合い、それを勢いづける阿部貴之(Dr./Vo.)のコーラスワークが特徴。



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