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chris van cornell後藤大輔



――日本だと習い事でピアノをやっていた人も多いですけど、後藤さんもそうだったんですか?
後藤 :  いや、やってなかったです。しかも、最初に触れた楽器はベースだったりもして。
――あっ、そうだったんですね。では、ベースはいつから?
後藤 : 14歳のときに隣の中学校の友達の家でeastern youthの「青すぎる空」を聴かせてもらって「これやばいね、うちらもバンドをやろうよ!」ってなったんです。そのとき、友達がギターをやるっていうんで、僕はベースという。
――やっぱり、音楽に興味はあったんですか?
後藤 : 親の影響もあったのか、小さいころから好きでしたね。中学ぐらいになると、「親が車でかけてたのは何だったのかな?」と気になるようにもなって。親は『ソウル・トレイン』(※アメリカのダンス音楽番組)が凄く好きだったんですよ。だから、ダンス・ミュージックやR&Bを聴くことが多かったです。アース・ウインド&ファイアー、シェリル・リン、ハービー・ハンコックとかマイケル・ジャクソンもそうですね。そのあたりは凄く耳に残ってました。
――ちなみに、友達と始めたバンドはどういったモノだったんですか?
後藤 : eastern youthやHi-STANDARDのコピーをしながら、オリジナルも作ってましたね。ライヴはやらなかったですけど、中2から中3にかけてはスタジオによく入ってました。今と違って何も考えることもないし、とにかく楽しかったですね(笑)。
――ハハハハ(笑)。感覚としては、友達と遊ぶ方法がバンドみたいな?
後藤 : でも、AIR JAMやテレビでやってた野外ライヴの映像を観て、「絶対にこういうところでやってみたい」とは強く思ってたんですよね。決意っていうほどのモノじゃないですけど、夢として抱いたというか。
――そのバンドはいつまで続きました?
後藤 : 中学卒業までやってたような。高校へ進学した後は、学校の友達と文化祭に出る為のバンドをやったり、高2からは友達の友達みたいな繋がりで仲良くなった人と学校外で本格的なバンドもやるようになったり。
――それはどちらもベース?
後藤 : 文化祭バンドはギターで、もうひとつのバンドもギターでやりたかったんですけど、ドラムがいないということでドラムでした(笑)。
――パートにこだわりはなかったんですか?
後藤 : こだわりはなくもなかったですが、それより何でもやりたがりかもしれません(笑)、高校のときだったと思うんですけど、音楽雑誌で全部をひとりで録音してる人の記事を観たんですよ。凄く驚いたし、それまで考えもしなかったことだったんですよね。それもあって、いろんなパートへ挑戦することに抵抗はなかったりもして。
――憧れといったら言い過ぎかもしれませんが、マルチ・プレイヤーという選択肢も考えたみたいな。
後藤 : そうですね。まあ、そのときはマルチ・プレイヤーなんて言葉も知らなかったですけど(笑)。
――しかし、キーボードという単語が出てきませんね。
後藤 : 触り始めたのは、本格的なバンドで曲を作るようになったときですね。まず、ギターを弾いて、歌のラインをピアノで入れるっていう。よくある『やさしいピアノ練習』みたいな本を買って「全然わかんねえ!」とか思いつつやり始めました。
――キッカケはあったんですか?
後藤 : 曲を作るときにやった方がいいのかなと。なんだかピアノでしたね。もしかしたら、マルチ・プレイヤーの記事を観たことがあったのかなと思います。
――当時、どんな曲を作ってました?
後藤 : 日本語詞で、意外と今のCVCに近いかもしれないです。
――高校ぐらいの多感な時期に出会った音楽って、ずっと根っこになる人も多いですけど。
後藤 : そうですね。
――どんな音楽が刺さりました?
後藤 : ビョークです。そこは絶対に外せない、それ以外にいるのかなっていうぐらい。ビョークはホントに衝撃だったんですよ。それまで聴いてた音楽って、ずっとギターやベースが鳴ってたり、AメロとBメロが続いてサビにいくみたいな、決められた流れがあるような気がしてて。でも、ビョークはそういうルートがないっていうか。
――定形から外れたところで曲が成立してるところに魅入られたみたいな。
後藤 : そうですね。エレクトロっぽい音も新鮮だったし、リズムのパターンも声も映像も「なんじゃこりゃ!」と。で、いろんな音楽を聴くキッカケにもなったし。
――どのあたりになります?
後藤 : マークベルのLFOはまずそうですね。あと、プログレッシブのMATMOS、Chris Corsano、Zeena Parkinsなど。それと、ビョークはヒップホップっぽいリズムも沢山あって、その流れでもヒップホップも聴くようになりました。
――高校卒業後はどうしたんですか?
後藤 : 音楽専門学校の音響科へ進学しました。
――それもマルチ・プレイヤー繋がり?
後藤 : どうなんですかね(笑)、単純にもっと音楽に関することを知りたいと思ったし、それと自分に保険をかけてたんじゃないですかね(笑)。
――まあ、そういう人も多いでしょうけど(笑)。
後藤 : ずっと音楽には関わって行きたいと思っていたので、手に職をつけたいと思ったというか。
――実際、バンドをやっていく上でも役立つ知識と技術が学べますからね。バンド活動に関しては、どうでした?
後藤 : 専門時代はドラムで参加してたバンドを続けてました。精力的に活動もしてたんで、専門もギリギリで卒業したぐらい。ただ、そのバンドも卒業ぐらいのタイミングで終わってしまうんですけど。
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――じゃあ、そこからASPHALT FRUSTRATIONに参加すると。
後藤 : 流れとしてはそうですね。専門を卒業した後、千葉LOOKで働いてたんですけど、そこに玲央ちゃん(ASPHALT FRUSTRATION:Vo.)もいたんです。で、ちょうどシンセを入れたいという話になってたらしく、「何もやってないんだったら、指1本で弾けるからシンセをやってよ」って誘われました。まあ、実際にやってみたら両手をフルで使うし、かなりたいへんでしたけど(笑)。
――多少の経験はあっても、新しいパートで参加したわけですし、苦労はあったでしょうね。
後藤 : 弾くのも全然慣れなかったですけど、何より音色がわからなくて。判断基準が自分の中になかったというか。だから、シンセでイメージする好きなCDをたくさん聴きました。
――そのうち、面白さに惹かれてくような。
後藤 : ですね。あと、凄くよかったのが、ASPHALT FRUSTRATIONの周りにはシンセを弾くプレイヤーが多かったんですよね。そのころのASPHALT FRUSTRATIONには下村さん(the chef cooks me)と権藤(知彦)さん(pupa,anonymous,YMO)も関わってたんです。1stミニアルバム『asphalt frustration』のシンセは下村さんが弾いてたりもしてて。そのプレイを間近で観れたのは凄く刺激的だったし。他にも、FRONTIER BACKYARD、COMEBACK MY DAUGHTERS、enie meenie、mule、がいて、「頑張らなくちゃいけない」っていう気持ちが尋常じゃなかったですね。
――そう考えると、歴戦の強者が揃ってましたね。
後藤 : 本当に環境が良かったです、下村さん、田上さん(FRONTIER BACKYARD)、権藤さん、チャーベさん、TA-1くん(KONCOS)、JxJxさん(YOUR SONG IS GOOD)などライブを見たり、スタジオでの作業を見ていると感化され、もの凄く刺激をうけました、今でも変わりません。
――シンセの魅力はどういうところになると感じてますか?
後藤 : 曲作りに関してだと、出来上がった曲に最後、シンセで色づけをしてキラキラさせたり、激しくさせたり、表情にさらに緩急を付けられるのがすごく楽しいです。ライブも同様ですね。その時の雰囲気・気分でフィルターのかけ具合を増したり、変化させたりしています。
――そして、2010年4月でASPHALT FRUSTRATIONの活動が止まることになりました。ここは大きな分岐点でしたよね。
後藤 : 2009年の年末ぐらいからそういう雰囲気が出てきて、ツアー最後のセクション、東名阪の一つ前の京都でひと区切りをつけるという結論に至ったんですよね。ただ、音楽を止めようとは思わなかったし。それこそ、すぐに新しいバンドをスタートさせようと考えたぐらい。
——ASPHALT FRUSTRATIONではリリースも重ね、夏フェスにも出演を果たしましたが、やりきった気持ちはなかったんですか?
後藤 : まだまだやりたいことは沢山ありました、フェスに関しても何年も出演することができてすごく楽しかったのですが、心残りはあって。中学のときに観たような野外でのライヴを自分たちの力でやってみたかったです。お客さんをいっぱい集めて、野外という解放感の中でやりたいっていう。
――CVCはASPHALT FRUSTRATIONとは違った責任感があると思います。役割を果たすというよりも、背負うというか。
後藤 : ホントにそうですね。あのときも感じてたことはたくさんありましたけど、今はその何倍もあるというか。ただ、その感じは嫌じゃないんです。それを経て、自分でやってるバンドなんですけど、どう変わっていくのか楽しみです。
――サウンド的な志向に関しては、音楽的芽生えのところに戻ったようでもありますよね。
後藤 : だと思います。ASPHALT FRUSTRATIONとかで経験したことも大きかったし、多少の変化はあるでしょうけど、根本に立ち返ったというか。まだ形にしてる段階だとは思うんですけど。
――バンドとしてのスタンス的なところはどうですか? 広く求めるだけでなく、マイペースな活動を続け、わかってもらえる人に届けばいいと願うようなこともあるのかなと。
後藤 : CVCを始めた当初は、わかってもらえる人に届けばいいかなと思うこともあったんです。でも自分の中で、常に葛藤はありましたよ。CVCを始動して行くと同時ぐらいに、BEAT CRUSADEARSのヒダカさん(現THE STARBEMS)に、ヒダカトオルバンドへ誘われて、ツアーやスタジオやヒダカさんの家に遊びに行ったり、何気ない会話の中でも色々考えさせられました、友人や先輩の言うことやライブを見たりして段々と自分の考えも変化し固まってきて、より多くの人に聴いてもらいたいと考えるようになりました。
――ジャンルという括りをするならば、オーガニックかつエレクトロの要素を持つCVCはカテゴライズしにくいサウンドじゃないですか。シーンがないサウンドというか、広げていくことに難しさも感じたりは?
後藤 : ただ、逆にそういった状況で力をつけていくことによって、どこにでもカテゴライズされるんじゃないかって思うんですよね。で、その状況が作れたとしたら、自分の目標もある程度は達成されるだろうし、CVCとしてもっと面白い活動ができるんじゃないかなと。
――また、CVCになって後藤さんは歌うようにもなりましたよね。
後藤 : 歌はホントに難しいですね。昔、バンドで歌った経験もあることはあるんですけど、こんなにちゃんとはなくて。
――サウンド感としても、歌が前へ出るサウンドですし、勢いでごまかせないという
後藤 : だから、自分で自分の首を絞めてますね(笑)。
――ハハハハ(笑)。どうして、ご自分で歌いたいと考えるようになったんですか?
後藤 : 自分で曲を作ってると、イメージするヴォーカルがあるんですよ。それを表現するには、やっぱり自分で歌うのがいちばん早いのかなって。ただ、繰り返しになりますけど、メチャメチャ難しいですね。学びながらやってるっていう感じではあります。
――頭の中に完成予想図があるんだったら、ソロ・プロジェクトみたいな立ち位置もありなのかなと思ったりとしますが、そのあたりは?
後藤 : いや、やっぱりバンドで音楽がやりたいですね。僕自身、ひとりでやるのは無理だと思うし。スタジオ・ミュージシャンの人とやるとして、すべてを指示できるかといったら、難しいだろうし……それに、自分が出してる音がいいと確信を持っていても、メンバーが「いいね!」って言ってくれることで安心できるところもあるんですよ。で、そこから曲が始まるみたいな。
――信頼してる仲間と良さを共有できたところから始まらないといけないという。
後藤 : そうですね。CVCで曲を作ってるときも、自分の頭の中にはまったくないフレーズがメンバーから出てきて、曲が何倍も良くなったりするし。そういう楽しさがバンドにはあるんですよね。




Chris Van Cornell
2010年4月、ASPHALT FRUSTRATIONの後藤大輔と向山高貴を中心に結成し、2012年より本格的な活動を開始。メンバーそれぞれに固定のパートがなく、自由なイマジネーションにて楽器を演奏し歌うという特異なスタイルで様々な生楽器とシンセサイザーの電子音をミックスさせたフォークトロニカを基盤としたサウンドを展開している。2013年4月には1st EP『hand in hand』を発表し、多岐にわたったシーンから注目を集める存在となった。



http://www.chrisvancornell.net