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HOT SQUALLチフネ



――バンドを始めてからどれぐらいになります?
チフネ :  19歳のときに始めたんで、15年ですね。意外と遅かったんです。周りのヤツらだと、中2ぐらいで洋楽に目覚めて、高校の入学祝いとかでエレキ・ギターを買ってもらって、高校生になったらバンドを結成するのが多かったし。
――音楽自体に興味はありました?
チフネ : ずっと好きでしたね。親父の影響でオールディーズは大好きだったし、歌謡曲やサザンオールスターズも聴いてました。ただ、楽器をやりたいとは思わなくて。そんなとき、『タモリの音楽は世界だ』っていう番組でThe Beatlesの特集をやってたんですよ。で、「やっぱり、凄いな」と思って青盤(※『1967-1970』)を買いに行ったら、すげえ好きになっちゃって。そこからですね。自分でも弾いてみたいと思って、エレキ・ギターを買いに行ったし。高2から高3になるぐらいかな。教則本と楽譜も買って、ちょっとずつ練習してました。
――そこで、楽器の面白さにハマると。
チフネ : いや、それもあったんですけど、こういう音楽を作ってることに興味が湧いたことが大きくて。そこにワクワクしたんですよね。だから、他の人とはちょっと角度が違うかもしれないです。その影響は今でも残ってると思いますね。
――とは言え、バンドは組み出すんですよね。
チフネ : そうでしたね。友達に誘われる形でまずMETALLICAのコピーをして、そこからオリジナルもやるバンドになっていきました。ヌンチャクに影響を受けた、ヘヴィなサウンドでしたね。
――その当時から、曲は作ってました?
チフネ : もちろん、曲作りの理論とか方程式なんか全然わからない状態でしたけど、作ってました。で、途中からベースがもともと地元の仲間だったアカマになったりもしてやってたんですけど、19歳の終わりぐらいまでやって、解散しましたね。
――なにかキッカケはあったんですか?
チフネ : Hi-STANDARDを知ってたことですね。シンプルに楽器を鳴らしてるし、ヴォーカルとコーラスの絡みがジョンとポールみたいだなと思って、オレもアカマもどんどんハマっていって。ああいうサウンドをやってみたくなったんですよ。それで、まずコピーをしようと思ったとき、Hi-STANDARDのドラムを叩けるのは、地元じゃドウメンしかいなくて。アイツに声をかけて、3人でスタジオに入るようにもなったんです。ただ、実際にそれまでやってたバンドを辞めるのは、当時のオレらにとっては大問題で。友達から始めたバンドだから、ホントに言い難かったのを憶えてますね。
――でも、それがHOTSQUALLへと繋がっていくわけですけど、どこかのタイミングでしっかりとしたバンドへと移行したんですか?
チフネ : いや、オレらはなんとなくですね。コピーをやってるうちに、「こんなメロディーとフレーズがあるんだけどさ」って2人に言って、曲も作るようになって。
――ちゃんとしたバンドとしてやっていくキッカケもなく?
チフネ : まず、やっぱりライヴがやりたくなったんですよ。で、ゆくゆくはレコーディングもしてみたいなと。この2つが目標になったのがキッカケと言えばキッカケかもしれないですね。でも、そこまで深いモノでもなかったりして。アカマが自衛隊にいたし、オレとドウメンは大学生でしたから。
――始めた当時から今でも残っている曲はあります?
チフネ : ホントにいちばん最初のころはないけど、HOTSQUALLとして初ライヴでやった曲は残ってますね。「Gulliver」や「EVERY WORD YOU SAY」なんかはそうだし。
――しかし、その当時を振り返ると、すぐに千葉LOOKでもライヴをやり、デモCDも制作してますよね。そして、その後も活動は継続したわけですが、それはどうして?
チフネ : 「まだまだ浅い考えでしたけど、「自分たちで好きな音楽を選んでバンドをやってる」っていう楽しさが芽生えてきたんですよ。個人的に言えば、最初は誘われたバンドだったし、自分のバンドだと胸を張れないところもあって。それはデカかった。それこそ、それまでギターなんか何でもいいやと思ってたけど、HOTSQUALLになったからには、ちゃんとしたギターが欲しくなって買いに行ったりもしたし。
――そこから数年、潜伏期間と言いますか、かなり緩やかな活動になりました。
チフネ : やっぱり、まだ遊びの延長だったんですよ。本格的な練習もしてなかったし、ライヴも年に3回か4回。だから、毎回のライヴで想像を絶するぐらい緊張してました(笑)。
――ハハハハ(笑)。それぐらいのペースでやっているバンドって、社会人になるタイミングで解散する場合が多いですよね。
チフネ : そうですね。でも、大学を卒業して就職したけど、バンドを止めようと思うことはなくて。
――趣味として続けてたみたいな?
チフネ : そこまで割り切った感じでもなかったかも……フラフラしててもしようがないなと思って就職はしたけど、それがオレの一生の仕事だとも思えなかったし。それに、バンドでやれることがいっぱいあるとは感じてて。デモCDを作ったときも、「次はもっといいモノを作りたい」って思ったし、ライヴに関してもそうでしたし。あと、魂を燃やし続ける場所が欲しいなと感じてて、それがバンドじゃないかなって思ってたというか。今、話をしてて思い出したことですけど。
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――つまらない日常から逃げ出したかったみたいな?
チフネ : いや、そこまでじゃないんですよ。仕事にしたって、苦痛と呼べるほどキツかったわけでもないし。
――その後、チフネさんは務めていた会社を辞めることになったんですよね。
チフネ : ちょうど1stフルアルバム『YURIAH』のリリース直前だったから、27歳のときですね。同じようなタイミングでアカマも自衛隊を辞めてます。
――やっぱり、一大決心でした?
チフネ : でしたね。とんでもない出来事だったし、かなり悩みましたから。 だから、ヌルくなりそうなときは、当時の気持ちを思い出そうとしますから。
――そこで踏み切った理由は何だったんですか?
チフネ : まずは、ANDREWさんとの出会いですね。「一緒に面白いことをしようよ」って言ってくれて、それがリリースにまで繋がって。やっぱり、仕事をしながらだとツアーもできないし。実際、リハをやらずにライヴをしたり、有給を使ったりしてた状況でしたから。
――そのタイミングでバンドとして勝負するということは、何かしらの手応えを感じてたりも?
チフネ : 手応えはまったくなかったですね。だって、お客さんは全然増えないし……ブッキングで出てて、誰も呼べないときもあったぐらい。だから、気持ちが先走ったというか。
――そう考えると、10,000枚を超えた『YURIAH』のセールスもそうですし、ツアーファイナルとなった柏Zaxがソールドアウトしたり。結果としては、想像以上だったんじゃないですか?
チフネ : とにかく必死だったから、そこまで考えられたわけじゃなかったと思いますけど、納得はしてましたね。
――実際、リリース前からは考えられないような状況になったと思います。当時の心境はどうでした?
チフネ : 調子に乗ることはなかったけど「やってやるぜ!」とは思ってましたね。好きなようにライヴができる環境にはなったわけで、本数も半端なく増えましたから。誘われたライヴは全部出るぐらいの勢いでしたね。年間100本は余裕でやってたし、それが何年も続きました。
――ひとつの達成感を得たのは2ndフルアルバム『BACKBEAT』かなと。
チフネ : たしかに、『BACKBEAT』は大きな経験にもなったし、手応えもありましたけど、それぐらいの時期でいちばん感動したのは千葉LOOKでやったワンマンをソールドアウトさせたことですね。千葉LOOKをソールドアウトさせるっていうのは、途方もない夢だと思ってたから、それを達成したときはホントに感情が昂りました。
――バンドとしての歩みを考えると、そこから2010年5月にリリースする2ndミニアルバム『Darlin' Darlin'』までちょっと空きましたよね。
チフネ : でしたね。だから、今になって考えれば、もうちょっと頑張ればよかったなと思ったり。何かしらのリリースができればよかったんじゃないかと。2008年10月に『BACKBEAT』のツアーファイナルをやって、2009年4月に千葉LOOKでワンマンをやって。それからは、友達のツアーサポートばっかりやってて、いい時期ではあったんですけど、自分たちからアクションを起こせなかったような気もしてるんです。千葉LOOKでワンマンっていう夢をひとつ叶えたことによって、ひょっとしたらフワッとしてたのかもしれないですね。
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――その後、大きなトピックと言えばTIGHT RECORDSを離れ、自らが立ち上げたONION ROCK RECORDSからリリースしていくことですよね。
チフネ : そうなりますね。よく「レーベルをやるのが夢だった」っていうバンドもいますけど、オレらはそうでもなくて。「自分たちでやってみても面白いんじゃないかな?」って思い始めたのが2011年の頭ぐらい。バンドとして、それぐらいのことができないとダメなんじゃないかと思ったりもして。いざっていうときに、例えば周りから誰もいなくなっちゃったら解散するみたいなことは絶対にしたくない。それでも何とかできるバンドでありたいから。
――曲作りとライヴだけに集中するのが理想なバンドもいると思いますけど、そのあたりは?
チフネ : それが理想だなと思う時期もありますけど、やっぱり最低限なことはできないとカッコ悪いと思ったりもするし……どちらかを選ぶというのは難しいですね。
――ザックリと分けると、バンドマンでありたい人、ミュージシャンでありたい人、アーティストでありたい人っていう3つがあると思ってるんですよ。イメージとしては、チフネさんはミュージシャンな気がするんですけど、ご自身ではどう考えますか?
チフネ : どの要素もあるだろうけど、たしかにそうかもしれないですね。オレは曲を作ることが好きだから。披露することも好きだけど、曲を作って、しっかりと仕上げてるときに「コレはいいかも」って感じる瞬間がたまらなく好きだったりするし。
――これまで、たくさんの曲を発表してきてますけど、会心の1曲はあります?
チフネ : いちばんスッと出てきたのは「Never fading feelings」ですね。メンバーに聴かせたときも「もうできてるじゃん」って言われたぐらい完成形に近くて。タイミングとしては1stミニアルバム『LIFE IS CARNIVAL』の後だったから、聴く人によってはギャップを感じたかもしれないけど、オレはThe Beatlesからスタートしてるし、自然に出てきたモノだったんですよね。シンプルだし、素直な真ん中が出せたんじゃないかと。
――逆に、化けた曲というと?
チフネ : オレらはそんなのばっかりですよ。例えば、「LAUGH AT LIFE」なんかはまさにそう。サビの「人生を笑え」っていう言葉を座右の銘みたく捉えてる子もいて。まさかバンドの指針みたいな曲になるとは考えてなかったし。だから、化けた曲であり、オレらの手元から巣立った曲だなと。曲って、ライヴで成長して、手元から巣立って、聴いてくれた人それぞれの持ち物になればいいと思ってるんですよね。
――素朴な疑問なんですけど、曲は考えないとできないモノですか?
チフネ : そうですね。いわゆる曲が降ってくるみたいなことはないし。死ぬほど考えることを繰り返して、ようやく出てくるみたいな。ホントにアイデアが出てこないときなんか、涙が出てきますよ(笑)。
――取っ掛かりはメロディーの場合が多いですか? それとも、ギタリストらしくコードだったり? <
チフネ : どちらもありますね。サザンオールスターズの桑田さんが言ってた話なんですけど、いつもと同じコードを弾いてるのに違った音色が聴こえてくるときがあるっていう。オレはすげえ頷いて。たぶん、曲を作ってる人間だったらみんなあるんじゃないかな。気分によって、聴こえ方が変わる。使い古されたコード進行なのに、意外なメロディーが浮かんできたりとか。
――今の時点のスタンスとして、HOTSQUALLがやりたいのかバンドがやりたいのかで選ぶとすると?
チフネ : 今はHOTSQUALLがやりたいですね。
――仮定の話になりますけど、もしHOTSQUALLが終わるときがきたらバンドを止めるような。
チフネ : 今みたく本格的な活動をするようなことはなくなるかもしれないですね。でも、音楽はやっていきたいし、携わっていきたい。作ること自体が好きなんで。もちろん、作って自己満足で終わることはないから、披露もしたいし。あとは、誰かに曲を提供するみたいなことにも興味があったりとか。
――女性ヴォーカル向けの曲とかも面白そうですよね。そういうときって、思考のチャンネルは切り替わるんでしょうか?
チフネ : 器用に使い分けができるタイプではないですけど、切り替わるでしょうね。「この人が歌ったらどうなるのかな?」って想像しながら作るだろうし。
――よくサイドプロジェクトとして他にバンドをやる人もいますけど、そういった考えは?
チフネ : 今はないですね。そこを頑張る時間があるのならば、HOTSQUALLを一生懸命にやりたいし。そこまで器用にできないというか。いい曲ができたら、HOTSQUALLで表現したい気持ちしかないですね。




HOTSQUALL
ザ・ビートルズ、オールディーズや日本におけるメロディック・パンクの先駆者であるHi-STANDARD等の洗礼を受け、地元である千葉にて結成。奥深く追求されたグッド・メロディー、衝動的なビート、英語詞と日本語詞を自由自在に行き来するリリックと唯一無二のポジティブな空気感を武器に活動を展開する。

http://www.hotsquall.com